ポップカルチャー「オタク文化」

 日本の「オタク文化」は世界的に有名。
 気持ち悪いと言う人もいれば、新しい文化だと評価する人もいます。
 ヨーロッパでは、比較的に友好的な評価を受けています。


 アメリカの日本映画(特に東映ヤクザ映画、ホラー映画)研究家パトリック・マシアス 氏が、在サンフランシスコ日本国総領事館主催で講演した「Games for Otaku and Everybody」の内容は頷ける所が多々あります。



 『オタクを「何かに没頭するファン」と定義するが、現実には「ゲーム、アニメ、マンガのマニアックなファン」として認識されることが多い』




 日本の国内でもそう言った認識が大勢を占めています。
 しかし、「オタク」とは最近の言い回しで、古くからの「道楽者」とか「マニア」とかと、同じ意味合いの言葉だと思います。
 現在は秋葉原などの電気、電子製品や、ゲーム機、ソフト・アニメ関連を嗜好する若者達だけを定義しているが、本来はもっと広い意味を持つものです。
 



 『ゲームセンターも現代は、マニアだけでなく、一般客、女性客も見込んだアミューズメントスポットとしてさらなる変貌をとげている。』
 『文化は主流になればなるほど、どこかで本来の「らしさ」を失う』




 「オタク」は既に、一般化しつつあるのです。
 例えばギャンブルは昔、一部の人達だけの娯楽でした。
 それが今や、「パチンコ」などに代表される様に、誰も出来るオープンな娯楽です。
 こうい言った文化流れは、日本独特の傾向なのかも知れません。
 「オタク」も同じ流れに進むと考えられます。




 『文化を支える若年層の減少、アメリカなどのゲーム開発者たちの台頭』
 ガンダムを懐かしく思い返す世代によって、現在、ガンダムブームが起こっている』




 つまり「オタク」は、若者だけの物では無くなりつつあります。
 と言うより、本来の意味に立ち返っているのでしょう。
 これからは、色々の世代がそれぞれの文化を育む時代です。
 それを効率よく発展させるのが、ネットワークではないでしょうか。
 ネット上に多くの「オタク」コミュニティーを形成しいけば、思い掛けない文化が生まれる可能性があります。


 ただ注意しなければならない点があります。
 それはコミュニティーでの個々の繋がりが、余りに強くなると閉鎖的になります。
 それが変な方向に進むんでしまったのが、現在の「オタク」の大きな問題点です。
 強い繋がりを否定しているのではありません。
 適度な繋がりと相互監視が、間違った方向へ進むのを回避する仕組みになるからです。


 具体的な例は無いのでしょうか。
 あります、それは昔のコミュニティー「村社会」です。
 でも、「村社会」は閉鎖的社会の代名詞に思えるかも知れません。
 確かに過去の「村社会」はそうでした。
 そして今その悪い傾向が、現在に「企業」や「団体」に残っています。
 現在の日本の「企業」や「団体」は、本当に閉鎖的なのです。


 しかし「村社会」には自律的に一定の掟を作りコミュニティーの安定を維持したり、お互いに助け合う相互扶助の機能があるのです。
 これからはネットワークのオープンな部分と、「村社会」の適度な閉鎖性を組み合わせる事が、新しいコミュニティーには必要です。
 日本人の国民性にあった新たな「オタク文化」築いていければ、日本の将来も暗いばかりではないでしょう。

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※パトリック・マシアス氏のブログサイト

◎北米毎日新聞に掲載された、パトリック・マシアス氏の記事を全文転載します。


4月19日(土)

 

「オタク」の歴史と展望

研究家マシアスさん講演

 日本が世界中で注目されるのは、何も伝統的な文化の豊かさだけではない。アニメ、マンガ、ゲームに代表される日本発のポップカルチャーの爆発的な人気も、日本を語る上で欠かせない要素になっている。

 13日に、在サンフランシスコ日本国総領事館主催で、催されたパトリック・マシアスさんによる講演、「Games for Otaku and
Everybody」では、ゲームを中心に「オタク」の成り立ちから今後までを豊富な例を挙げて語った。

 マシアスさんは日本映画の研究家で、ポップカルチャーの動向や日米のオタク文化にも精通。これまでに、日本映画を紹介した「TOKYOSCOPE」や、
「Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo」(日本語版は「オタクinUSA
愛と誤解のAnime輸入史」=宝島社)などの著書も出版しているほか、ゲーム、アニメ、マンガを網羅する雑誌「Otaku
USA」の編集長も務めている。

 「オタク」とは何か。

 近年はアメリカでも「OTAKU」という言葉は浸透。「OTAKU」を自認する人も増えている。マシアスさんはオタクを「何かに没頭するファン」と定義
するが、現実には「ゲーム、アニメ、マンガのマニアックなファン」として認識されることが多いという。

 現在のゲーム文化のルーツは、江戸時代の賭博にまでさかのぼる。さいころを使った「丁半」や「花札」などは遊びの要素だけが取り出され、一般化した。任
天堂などの原点も実は花札製造といったものにあり、後に家庭用ゲーム機へと事業を発展さている。賭博の要素は現代もパチンコに引き継がれ、遊びの要素は
ゲームセンター(ゲーセン)へと引き継がれた。特にゲーセンはマニアたちの社交の場となった。現代は、マニアだけでなく、一般客、女性客も見込んだア
ミューズメントスポットとしてさらなる変貌をとげている。

 1983年の任天堂ファミリーコンピューターファミコン)の日本国内外での爆発的な人気で、世界中にゲームオタクが出現する土壌を作り、家庭用ゲーム
機中心のゲーム文化が発展した。また、この人気は、それまで電気、電子製品の商店が集中した秋葉原にゲーム機、ソフトを販売するきっかけを与え、それを目
的に集まるオタクたちが文化の中心となった。

 発展著しいと見られるオタク文化だが、今後の行方は不透明だ、とマシアスさんは言う。「文化は主流になればなるほど、どこかで本来の『らしさ』を失う」
と言い、ゲームのオンライン化、高度化、携帯電話の技術の進歩などが、オタク文化をより商業的かつ一般化する流れを作り、本物のオタク文化の創造的な根源
を枯渇させるのではと懸念する。さらに、文化を支える若年層の減少、アメリカなどのゲーム開発者たちの台頭が、日本独自のオタク文化の未来をどう変えて行
くかはまだ分からないという。

 しかし、ガンダムを懐かしく思い返す世代によって、現在、ガンダムブームが起こっているのを見ると、そうした現象が続くかぎり、オタクのスピリットは続いていくのではないかと思う。

  (レフテリ・カファト)