硬直化した脳

 人が密集する所に都市が出来る。それは人が未だ猿と大差無かった頃、さして身を守り能力を持たなかったため集団で行動した事が始まりだろう。それでもその頃は定住する事は無く、都市など作りようもない。人が都市を作り出し始めたのは、定住し効率的に食料を確保出来る様になってからだ。
 野生の動物は食料を得るために動いていると言っても過言ではない。人はそれを止めた、最初は狩猟採取が主体で定期的な集団移動はしたいた。しかし、食料を栽培するようになって、一部の焼畑農を除いて定住が確立した。確かに牧畜を始め、移動生活を選択した者達もいる。居るが彼らは殆どの場合、都市を作らない。歴史上、遊牧民が都市を建設するのは、定住化を選択した場合に限る。

 都市の人口は増加し、さらに大きな食料生産能力を得る。そしてまた人口が増加し、余分なマンパワーを持つようになる。その余ったマンパワーは外に向けられ、周辺の小さな都市や集落を軍事力で取り込み増々巨大化する。そして巨大都市間の争いが発生する。都市は防衛のため高く堅牢な城壁で都市を覆い、外からの異質な物を排除しようとする。
 最初日排除されるのは、自然である。自然は人には完全の制御出来ないからだ。自分達で制御が可能な、人口物だけで埋め尽くされる。
 そのうち都市だけで一生生活する人間が現れる。彼らはこの世の中は全て制御出来ると錯覚をしている。そのため彼らの意識は形式化・単純化され、意識の硬直化がおこる。
 彼らはエラーを憎む、それを排除するために血眼になる。だがエラーとは悪では無い。単なる現象に過ぎず、そこに新しい可能性も秘めている。しかし都市の人間はそれを排除し、可能性を自ら排除する。
 都市化が進めば意識は形式化・単純化も進行する。そのうち脳その物の硬直化が始まり、都市は停滞する。一見物質的に豊かで進歩している様に見えても、柔軟性に賭けるそれは以外に脆い。一寸した変化で(内因・外因両方で)簡単に瓦解する。歴史上、多くの都市がそうして滅んで来た。その後生き残ったのは、必ずと言って良いほど、自然と共に有る人達である。
 だがまた人は懲りる事なく都市を作る。こらは人間の業なのかも知れない。今までは都市が崩壊しても、再生を促す自然が残ってた。しかし、その自然を破壊して増殖を続ける現代社会に再生の可能性はあるのだろうか。硬直化する脳は、はたして自然に回帰出来るのだろうか。人類に残された時間は、僅かしか無いと焦りを感じて止まない。