【続】深く考えさせられる物があったので、転載します。

うわっとビックリ! (開けてびっくり!鬼子母神)

2007-05-20 23:59:30

何気なく、自分の名前で検索してみたら、ヒット!!いやぁ、ここで、私の名前に会おうとは!!改めてみると、ぶちまけただけで、まとまりに欠ける文章。私らしいといえば、私らしいのですが・・・ちと分かりづらいですな。お恥ずかしい。それとともに、掲載していただきながら、ほったらかしの申し訳なさ・・・トホホ(昭和的表現)
要するに、「そこにポケットがあるなら、まず手を突っ込まなくちゃ。」ってことです。・・・余計分かりづらい?
子供の頃、今のように商品化されたおもちゃが、豊富に手に入らなかった頃。身の回りのもの全てをおもちゃにしようと頭を使った。一つのものに、様々な可能性が輝いていた。名前のないおもちゃが、傍らにたくさんあった。遊びたい。ただそのための道具なだけで、同じ次元のものだった。名前で区別する必要もなかった。
とかく、人はものの名前から来るイメージで、ポケットに手を突っ込む勇気が出たり、出なかったり。私とて、そうやって生きてきた当人。人から生じるものは、なにがしかのツールに過ぎないと思っています。それも、より良く生きるための、幸せになるためのツールだと信じています。製品と部品、ハイテクとローテク、どれもツール。昔ながらの村社会や高度な情報化社会など、社会制度もツール。年齢や、性別、個性だってツールなのかもしれない。それの生じ方や、第一印象に縛られて、ツールの可能性を曇らせるのはもったいない。「目的のためなら、使い方を選ばない。」「どんなツールでも、目的につながる可能性を秘めている。」・・・ある意味、これってユビキタス!?
ツールは、使い方によって目的を持つことが。そばにあるポケットに手を突っ込む勇気が、怯えるほどのものでなく、けれど、大きな勇気だということが。貴殿たちの活動を通して、佐賀県の人々に明らかにされんことを、切に願います。
・・・ん〜、長い!また、分かりづらい!
けれど、書いてしまったので投稿しますね。
板汚しにて、失礼しました。

愚友より



("⌒∇⌒")ありがとさん (平田 義信)

2007-06-08 17:03:54

 現在社会はツールがツールでなく、名前によって固定化された目的になっていますね。それによってツールの可能性を奪っている。
 何でも有りで行きましょうo(@^◇^@)o